道中リスト 日光道中 小金井宿〜石橋宿

◎小金井宿◎
慈眼寺(左手)
金井神社(向かい)
俳諧の句碑(右手)
蓮行寺(小金井北交差点右入る)
薬師堂(右手)
→宿並この辺りまで
★街道分岐 パーラークィーンエリザベス手前左折 すぐの民家生垣回り込み土道へ パチンコ店駐車場直進 工事中のフェンス左に回り込む
自治医大駅◆左折国道出て約200m
★しばらく縄手道
★突当りT字路右折国道へ
◎下石橋一里塚◎23里目
(突当りT字路の雑木林内に現存)
慈母観音(丸大食品敷地内)
下石橋石仏群(下石橋北交差点手前左手)
◎石橋宿◎

道中リスト 日光道中 新田宿〜小金井宿

◎新田宿◎
青木本陣跡(国道合流500m左の邸宅)
★街道分岐 銅市金属工業左折
石塔石仏群(すぐ右折した所)
★突当り水路右折(中華レストランの所国道合流)
★国道沿い直進
ファミリーマート手前左折すぐ寿司屋右折→旧道復帰
小金井駅◆右折約200m
★突当り畑を左舗装路へ回り込む
◎小金井一里塚◎22里目 遺構あり
◎小金井宿◎国道合流地点あたり南口

道中リスト 日光道中 小山宿〜新田宿

◎小山宿◎
光照寺(交差点先右奥)
須賀神社(交差点先左奥)
興法寺(本郷町入って左)
愛宕神社
八百忠(醤油漬け発祥の地碑 花垣町)
★JR両毛線を踏切で超える
日枝神社参道
喜沢の追分(喜沢交差点 日光壬生道)
道標兼供養塔・馬頭観音・日清日露日支出征馬碑(蛸屋茶寮前)
日光壬生道(日光まで5キロ近道)
★街道分岐 喜沢東交差点越してすぐ右斜め細道
◎喜沢一里塚◎21里目(左塚が林の中に)
★しばらく縄手道(新幹線沿い)
★街道分岐 三又を左斜め真ん中の道へ菅沼接骨院が目印
◎新田宿◎国道四号合流地点

道中リスト 東海道 品川宿〜川崎宿

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六郷橋で多摩川を渡る

品川宿
問答河岸跡碑
旅籠土蔵相模跡
■利田神社(鯨塚)
品海公園(一里塚の碑)
■法禅寺(品川小学校発祥の地碑)
一心寺
聖蹟公園(品川宿本陣跡)
荏原神社(境内・明治天皇御東幸内待所奉安所碑)
目黒川を品川橋で渡る
百足屋治兵衛脇本陣跡(城南信用金庫
海徳寺(軍艦千歳殉難者之碑)
品川街道松(セブンイレブン過ぎ児童公園・樹齢約80年)
問屋場・貫目改所跡(製菓実験社)
三岳(東洋鍼灸院)
常行寺(城南小学校創立之地碑)
遠州屋の閻魔いなり
■長徳寺・焔魔堂
天妙国寺
諏訪神社
池上通り横断
幕府御用宿釜屋跡(ガーデンホーム南品川)
品川寺
海雲寺・千躰荒神
■海晏寺
品川宿並ここまで
鮫洲八幡神社
仲町稲荷神社(立会川駅方面左)
坂本龍馬像(神社隣)
浜川橋
天祖諏訪神社(右手)
濱川神社(鈴ヶ森中学校向かい)
鈴ヶ森刑場跡
磐井神社(大森海岸駅過ぎ右手)
武蔵国八幡社総社・別名鈴ヶ森八幡)
★街道分岐 大森海岸交番左 三原通りへ
旧東海道標石(スポーツセンター前)
美原立場(三原通り商店街)
美原不動尊(右手)
羽田道(内川橋渡り左手 別名するがや通り)
◎大森一里塚◎
丁丑之役戦死並従軍者記念碑(大森警察署裏)
貴船神社(右手)
梅屋敷跡(梅屋敷公園)
呑川を夫婦橋で渡る
熊野神社(東六郷一丁目交差点過ぎ右手)
六郷神社(東六郷三丁目交差点過ぎ左手)
◎六郷一里塚◎
★街道分岐 六郷神社前斜め左細道へ
観乗寺(先左手)
歩道橋で六郷橋上へ(歩道橋先右折・北野天神)
橋左側 六郷渡し跡
明治天皇六郷渡御碑(渡詰め袂)
厄除川崎大師燈籠と長十郎梨ふるさとの解説板
川崎宿

道中リスト 東海道 日本橋〜品川宿

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日本橋より京方面を臨む

日本橋
東海道左側を通行
名水白木屋の井戸碑(コレド日本橋手前左)
秤座跡碑(日本橋二丁目交差点先 りそな銀行東京中央支店手前左 植栽)
ヤン・ヨーステン像(日本橋三丁目交差点)
歌川広重住居跡(ブリジストン美術館先左)
江戸歌舞伎発祥の地碑(首都高高架下手前右)
京橋記念碑
煉瓦銀座の碑(高架下左)
銀座発祥の地碑(カルティエ前)
銀座出世地蔵尊(銀座三越屋上)
芝口御門跡碑(銀座八丁目交差点左入る)
新橋親柱(新橋高架くぐり左)
銀座柳の碑
日比谷神社(JRガードくぐり左)
芝大神宮
芝増上寺
古川を金杉橋で渡る
◎金杉橋一里塚◎
江戸開城西郷南州勝海舟會見の地碑(芝五丁目交差点越し左)(薩摩藩邸跡)
札の辻
元和キリシタン遺跡(三田ツインビル西館)
御田八幡神社
高輪大木戸跡
泉岳寺
高輪神社
高輪海岸石垣石(高輪二丁目交差点手前右)
東禅寺(高輪歩道橋手前右)
八ツ山橋
◎八ツ山一里塚◎
品川宿

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品川宿水辺の風景

道中リスト 日光道中 間々田宿〜小山宿

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間々田宿の旧家

間々田宿◎
逢いの榎
龍昌寺
金比羅神社(宿場入口)
問屋場跡(間々田交差点足利小山信金向い)
本陣跡(郵便局付近)
間々田八幡(間々田四丁目交差点 参道口)
浄光院(宿並み北外れ)
間々田一里塚◎(間々田郵便局向い蛸屋辺りか?)
浅間神社(千駄塚古墳
西堀酒造(粟宮(南)交差点)
大橋訥庵旧居跡
★街道分岐 粟宮交差点直進県道265号
神鳥谷(ひととのや)旧家長屋門
天満宮(西側)
◎小山宿◎

焙烙地蔵(ほうろくじぞう)(日光街道:栗橋宿)

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  • 昔、処刑場があった
  • 関所破りで火あぶりにされた人を哀れんで建てられた
  • 別名「えぼ地蔵」(えぼ=いぼ)。線香の煙を浴びると治癒するという言伝え

焙烙(ほうろく)は、素焼きの土鍋の一種。形は平たく、低温で焼かれる。炒鍋(いりなべ)ともいう。
茶葉、塩、米、豆、銀杏などを炒ったり蒸したりするのに用いる。特に「焙烙蒸し」とよばれるときもある。 また、宝楽焼の鍋としても用いられる。
最初の焼き芋は、寛政5年、江戸本郷で焙烙で蒸されて売られた。
茶器としても用いられ、土鍋ともいう。炭手前のとき、炉または風炉の灰を入れて炭杓子の付属品を入れて持出でる。
かつて戦国時代、瀬戸内海を中心として勢力を誇った村上水軍は焙烙に火薬を詰めた「焙烙玉」を武器として無類の強さを発揮した。
焙烙 - Wikipedia